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 読了後この帯を見て、「違うな」と呟いた。
 カバーがかかっているので今まで見なかった。スキャナにかける際、はじめて気づいたのだ。いくら訴求度を高めるためとはいえ、これはいささか誤読だな、と。

 ここに収録されている作品の大半はまず「転」「結」を先に示し、なぜそうなったのかをその後に「起」「承」を置くことで明らかにし、そして再度冒頭部に配置した「結」に対する「結」を置き話の幕引きを図る、という構成で成り立っている。あえて起承転結の定石を破り、寧ろここでいう「どんでん返し」の逆を行っていることが本書の魅力だと、私は思っている。

 2番目の祖母と子役の孫娘の話「ありがとう、ばあば」など、思い当たる節のある人も多いのではないかと思う。幸福感の強要がもたらす重圧と、それにより起こる悲劇の話だ。自分が過去にできなかったことや、勝手に抱く幸福感を子孫に投影する、その間に自分が経験する忍従は全てそんな自分を美化する糧として卑しい用いられ方をされる。そして子のため孫のためと思っていることが、実は自分勝手な「疑似的自己実現」でしかなかった、そのことに気付くのはすでに手遅れの段階になってからなのだ。 
 寧ろこの「幸福感の強要」というやつ、これは女性の例だけれど、男だって無縁ではない。愛情表現の一環として定着すらしている。しかしそんな切実な問題にならないのは、相手の方も成長を遂げ、それをはねのけるだけのポテンシャルが具わっているからに過ぎない。
 
 ここに収録されている他の話においても、我々にとってこういう悲劇が起こりえないという保証はどこにもない例ばかりだ。では何によってそうなることを回避しているか。危険察知能力?しかし、それが常に機能するほど、私などは賢くない。最も有効なのは、それを阻む阻害要因の出現だ。本書のどの主人公も、それに乏しい気がする。それは一時は不本意な存在ではあるけれど、自身の迷走や暴走を回避する貴重なものであること、それが本書で得た教訓だと思う。